その人の力をもって再起させるのみ_史記_扁鵲倉公列伝

名医たる扁鵲でさえも死したる人を再び生かすことは出来ない。
扁鵲の名医たる所以は
当然に生きれるはずの人を、その人の力をもって再起させ得るところにある。
その力とは何か
その人をその人たらしむる力
それを気という

史記_扁鵲倉公列伝に曰く
越人(扁鵲)能く死人を生かすに非ず
此れ自ら當に生くべきもの
越人(扁鵲)能く之をして起たしむのみ

越人非能生死人也
此自當生者
越人能使之起耳

黄帝の願い_霊枢_九鍼十二原篇

約二千年前に当時の医術をまとめた黄帝内経の霊枢_九鍼十二原篇の冒頭部分には

鍼術の確立が「薬や手術に頼らず、病に苦しむ民を救いたい。」という願いによって成されたことが記載されています。

◆◆ある時、黄帝は臣下の岐伯に仰せになりました。
私は帝として政事を行い、そのために租税を徴収しておる。
しかし、多くの民はその恩恵に十分に浴すること無く、さらに病気で苦しんでいるものもいる。私はとても心が痛む。
岐伯よ、私は思うのだが、強い薬や手術に頼らない手立てはないだろうか。
小さな鍼を用いて、経脈の滞りを改善し、血気の流れを良くし、全身の循環と内外の気の出入りに調和を保つことはできないだろうか。
その方法を後の世にまで伝えることができるように、その大原則を明らかにしたい。
運用が簡単で忘れにくく、その規範を章立てにして、文章として表現しておきたい。まずは、針術について取り掛かりたいものだ。
岐伯よ、その手立てを聞きたいものだ。

◆黄帝問於岐伯曰.
余子萬民.養百姓.而收其租税.
余哀其不給.而屬有疾病.
余欲勿使被毒藥.無用砭石.
欲以微鍼.通其經脉.調其血氣.營其逆順出入之會.
令可傳於後世.必明爲之法.
令終而不滅.久而不絶.易用難忘.爲之經紀.異其章.別其表裏.爲之終始.
令各有形.先立鍼經.
願聞其情.

◇黄帝、岐伯に問ふて曰く、
余、萬民を子とし、百姓を養ひ其の租税を治めしむ。
余其の給はずして疾病あるに屬(つく)を哀しむ。
余、毒藥を被らしむること無く、砭石を用ゐること無からしめんことを欲す。
微鍼を以て、其の經脈を通じ、其の血氣を調へ、其の逆順出入の會を營まんと欲す。

後世に傳るべく必ず之を爲す法を明らかにせしむ。
終りて亡びず久しくして絶えざらしめん。用ゐ易く忘れ難く、之を爲す經紀は、其の章を異にし、其の表裏を別ち、之が終止と爲す。
各々をして形有らしむるに、先づ鍼經を立つ。
願はくは其の情を聞かん。

歯長而垢

「なんで、お年寄りは歯が長いんだろう。」
幼いころの私は不思議に思っていました。
今では、歯のお手入れの行き届いた方を良く見受けますが
50年近く前は、インプラントをしている方もなく
自然な老化の状態を披露してくれていました。

歯と歯肉の関係は、元気の枯渇で悪化します。
特に関係が深いのは【腎の臓】に関わる気の流れです。
この流れは足の少陰の脈と言い、骨と肉をしっかりと結びつける役割があります。
歯は骨の仲間との位置づけますので、
足の少陰の脈が枯れてくると、歯と歯茎の状態が悪くなります。
具体的には、
歯肉は痩せて縮み、だんだんと歯が長くなります。歯と歯茎がぐらつき、ついには、剥がれ落ちるように、歯が抜けてしまいます。(霊枢_經脈篇)

この脈の状態は比較的簡単に観察できます。
場所は、内くるぶしとアキレス腱の間です。
クスミがあったり凹みがひどくありませんか?

足少陰の脈をいかに良い状態に保つか
これが、いつまでも自分の歯を保つことにもつながるのです。

霊枢_經脈篇:
足少陰氣絶.則骨枯.少陰者.冬脉也.伏行而濡骨髓者也.故骨不濡.則肉不能著也.骨肉不相親.則肉軟却.肉軟却.故齒長而垢.髮無澤.髮無澤者.骨先死.戊篤己死.土勝水也.

田中鍼灸院の沿革

昭和時代

1930年(昭和5年) 田中ジツ(1901-1968)が福岡県八女郡羽犬塚町大字山ノ井791で開業

1967年(昭和42年) 田中法子(1933-)が福岡県福岡市養巴町の入江三次郎先生(1895-2000)の後継として、

本院から分院独立。福岡市中央区大名1丁目3-32

平成時代

1989年(平成元年) 福岡市中央区大名2-2-2後藤ビルへ移転

2015年(平成27年)10月13日 福岡市中央区大名2-4-38チサンマンション天神3へ移転

現在に至る。

 

 

心不在焉

一心に向き合えば

そこに多くの気づきが生まれる

しかし

「心ココに在らざれば

見れども見えず

聞けども聞こえず

喰らえどもその味わいを知らず」

 

2017年暮れに

ふと『大学』の一文が思い出されました。

ご本尊は南無阿弥陀仏

先日のお彼岸に家族と共にお寺参りをした。

そこでの住職のお話の中で
本堂や仏壇の中心にあるご本尊とは何か?

という問いかけがあった。
ご本尊?
仏様じゃないの?
ご住職のおっしゃるには
「ご本尊は南無阿弥陀仏。阿彌陀佛ではない」と。
「南無がつくことで、仏様の働きかけを意味する」とのこと。
自身への様々な働きかけに対して
畏敬の念が湧き、頭が下がる。
それが、お念仏。

仏様は、不可称、不可説、不可思議、

色も形もなく
私達はその働きを通してのみ出会うことができる。

身近な事柄を通して
感じること
そこに仏様の働きをしっかりと認識して生きるのが
念仏者

東京の勉強会へ参加していた20年ほど前
ある先輩が熱心に語っていた。
「治療は祈りですよ」と。
当時、若輩の小生は
「ふーん、そんなものかな。」
ぐらいしか思わなかった。

しかし、
今は、この言葉を深く味わうことが出来る。

 

秋のお彼岸での気づきでした。

関連)見えざるもの

食は飯の気を中心とす

身体というものは不思議なもので、
生まれてから死ぬまで
一貫して生命を保とうと力を尽くし続けます。

この驚異的な力は、
この世界のすべてを生み育て止むことのない【気】が
身体にも常に働いているからこそ得られるものです。

【気】はいろんなチャンネルを通して
身体の中に摂り込まれ循環し、そして体外に排出されます。
そうやって自身を保ち生かし続けているのです。
取り込み・循環・排出の三者のうちで
意識的に変え得るものから取り組んでゆけば
養生の質を上げることが出来るのです。

例えば、食事。
これは【気】を摂り込む行為です。
あらゆる食材は【気】の凝縮したものに他なりません。
良質の食材、鮮度の高いものは、身体を作るための最高の材料になります。
また、あらゆる食材には個別の特性があり、
毎食の食材の組み合わせによって身体への影響も違ってきます。

三浦梅園の『養生訓』には、
食事について心に留めたい記述がありますので、此処に紹介いたします。
◆◆◆
すべての食事の大原則としては、ご飯を中心とします。
漢方薬には君臣佐使といって、中心的な役割をなす生薬を君主と位置づけて、
他の臣佐使はその臣下として位置づけて君の生薬を助けるように配合していきます。これに習って、食事においてもご飯の役割を助けるように副食を位置づけます。決して副食が主食のご飯より目立ってはなりません。加えて、過食など極端なことをしなければ養生を害することもないでしょう。
[原文]
すべて食事の法は、食(いひ)の気を主とし、薬に君臣佐使といふをたてたるがごとし。其の外の物は、食の臣たり、佐使たらしめて、飯の気にかたしめず。飲食重過だになき時は、養老の道に害なし。
◇注)
*食は飯(いひ)の意。ご飯のこと。
*君臣佐使(くん・しん・さ・し) 漢方薬は、複数の生薬を混ぜて作られています。中心的な作用をもつ生薬を君薬、君薬の作用を補強するものを臣薬、君臣薬の効能を調節するものを佐薬、君臣佐薬の補助的な役割を担い、また服用しやすくするものを使薬とします。薬膳も、この考えが基本です。
例えば、葛根湯は、葛根が中心的な役割を担うので君薬。他の麻黄、桂枝、生姜、炙甘草、白芍薬、大棗は、その臣下として葛根の作用を補助します。

 

 

 

安逸の戒め

手は天より与えられた家来、
足は天より与えられた乗り物

***
うまく使うことで、
いろいろな事をしてくれるし、
あらゆる所へ運んでくれます。

***
せっかく我が身として与えられた家来(手)と乗り物(足)を使わずに
ほんのひと時の安らぎのために
他の人や物に頼ってしまうと
自分の手足は弱ってしまい
ついには天より見放されて使い物にならなくなってしまいます

***三浦梅園『養生訓』より***
手は天より我に賜はる奴[やっこ]にして
足は天より我に賜はる乗り物なり。
其の奴を置き、其の乗物を棄て、
一時の安をもとめ、人を苦しめて、己が安をもとむる故、
手足はありながら、終には手足の用もなさず。

病は気から

病気とは、「気を病む」と読めるように
【気】が病んだ状態です。

***

身体のみならず
天地をあまねく満たし循環しているもの
それが【気】にほかなりません。

***

【気】はガス状のもので、
集まったり散らばったりして
いろんな状態を呈しながら万物となり
また、万物の生死に関わっています。

***

生命とは、【気】が集まり循環している状態であり
【気】が散るということは、死を意味します。
ヒトも例外ではありません。

***

身体の働きは精神も含めてすべてが【気】の営みです。
この欠くことのできない【気】の循環が障害された時
そこに疾が生じ
甚だしければ、病となるのです。

***

病に対する鍼灸の役割を説くならば
身体との対話を通して、どこに【気】の滞りが在るのかを把握し
数本の針と一握りのモグサを用いて、本来あるべき状態へと変化を促すこと。
これに尽きます。
*****
『類経図翼』に曰く

凡そ諸病の作るや、皆な血気壅滞し、通ずるに宜しきを得ざるに由る。

鍼をもって之を開導し、灸をもって之を温煖すれば、治まりて終わる。
【意訳】

多くの不健康な状態は、すべて気の循環障害が原因である。
気の滞りのあるところを、鍼術によって開通し灸術によって温めることが出来れば
治療の目的は達せられるのだ。

老化は目から始まる

肉体的な活力が旺盛な壮年期をすぎると
次第に身体の勢いは衰えてきます。
霊枢天年篇には、衰え方には順序が存在することが記されています。

◆40歳から白髪が目立つようになります。
◆50歳からは肝の臟の働きが弱り、関連する目の症状が現れます(目の疲れ、老眼、目の乾燥、目がかすむ等)。

また、目以外にも筋・髪に関連する症状が現れます。

筋(こむら返りなどの筋肉の引きつりや痙攣)

髪(ツヤがない、白髪)
◆60歳からは、心の臓が弱ります。具体的には、憂いや悲しみ等の感情が現れます。
また、気血の流れがスムーズさを失うために、ゴロゴロとすぐ横に寝っ転がるようになります。
◆70歳からは、脾の臟が弱り、皮膚がカサカサになってきます。
◆80歳からは、肺の蔵が衰え、よく言葉を間違えるようになります。
◆90歳になると、腎の蔵が衰えて、他の四蔵(肝心脾肺)を養うことが困難となります。
◆100歳になると、五臓の働きすべてが衰え、身体を養えなくなります。形だけが残り、ついには寿命を迎えることとなります。
参照→老化は何歳から?


五臓の老化の順番は
肝→心→脾→肺→腎
となっています。

40歳を過ぎて、肝の臟に関連する目、筋肉、髪の状態の衰えは、
いわゆる老化のはじまりと捉えることができるでしょう。

老化には個人差があります。ここで述べている年齢はあくまでも目安です。

◆◆

黃帝曰:其氣之盛衰,以至其死,可得聞乎?
歧伯曰:人生十歲,五藏始定,血氣已通,其氣在下,故好走;
二十歲,血氣始盛肌肉方長,故好趨;
三十歲,五藏大定,肌肉堅固,血脈盛滿,故好步;
四十歲,五藏六府十二經脈,皆大盛以平定,腠理始疏,滎貨頹落,髮頗斑白,平盛不搖,故好坐;
五十歲,肝氣始衰,肝葉始薄,膽汁始減,目始不明;
六十歲,心氣始衰,若憂悲,血氣懈惰,故好臥;
七十歲,脾氣虛,皮膚枯;
八十歲,肺氣衰,魄離,故言善誤;
九十歲,腎氣焦,四藏經脈空虛;
百歲,五藏皆虛,神氣皆去,形骸獨居而終矣。